2011年6月21日火曜日

書きかけ

『田中角栄 封じられた資源戦略』(草思社)つー本がありまして、

まあ著者の意図としては
「田中角栄は独自の資源外交を進めようとしていたが志半ばにしてロッキード事件で政治生命を絶たれた。
(今その遺志を継いでいるのは我等がオザワンダー!)」
という感じなのですが、
こまめに拾い集められた田中角栄にまつわる些細なエピソードが、著者の本来の意図とは離れて結構面白かったりするわけです。

で、理研工場の大田(朝鮮)への移転をめぐる大河内正敏と岸信介との対立とかいろいろありまして

「・・敗色が濃く、国民は窮乏していたころに軍部から膨大な資金が民間企業に流れていた。
その調節弁は、商工省と企画院を統合した軍需省の軍需次官となつた岸が握っている。
財政支出の八五・三パーセントを軍事費が占めていた時代、軍需省は「日本最大の発注者」だった。
 戦争末期、総軍事費のうち陸軍管理の八〇パーセント、海軍の七五パーセントが民間の軍需工場に流入したといわれる。
物資は欠乏し、労働力も不足していた。企業の生産力の落ち込みを無視して、大量の発注が行われ、公費は「つかみ取り」の状態だつたという。
 終戦前夜に会計検査院が発表した「臨時軍事費決算検査報告書」によれば、軍需品の価格査定や前渡し金の支払い、納入での法令違反は五十三件。五億二六〇〇万円(現在の約四〇〇〇億円)にのぼっている。
理研の工場移転も庶民からは見えにくい資金の流れに乗っていた。
さらに敗戦後の混乱期、納入されなかった軍需品に総額五〇〇億円もの「軍需補償」が支払われた。
いまなら数十兆円の資金が軍から民へ渡ったことになる。
その一部は、間をおかず、政党結成の元手に変わり、政界へ還流されていった。・・・」
『田中角栄 封じられた資源戦略』山岡淳一郎

(賢明なる読者諸氏はすでにお気付きのことと思うが、「発注先」のほとんどがいわゆる満州派企業)








5 件のコメント:

  1. 「やっぱ2番じゃダメだぜっ」と鼻息荒くしてましたね、スパコン
    携帯かえなきゃなんなくて
    スペック的に富士通にするしかなぃのが、、
    浮気するワケでもなぃのにって気持と
    だからってスマホにすんのもなぁ
    の気持にしみましたょ あの鼻息はw

    以前、コチラでシェルターやら後初では~なコメしました
    匿名党でも防空壕があったので貼っときます(とっくにシッテル事と思うのですが)
    大林メイドの防空室http://www.sengokushi.com/c7_1/fortress/fort_p/c7_1003.html

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  2. スパコン 理研

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  3. >スパコン1位
    大河内サンの祟りじゃー

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  4. 角栄が秀吉にカブるような気がしてきましたw

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  5. スパコン
    レンポ抗裂く員、失敗で負け惜しみの巻ってことでしょうか。

    この分野、昔から、日本はいろいろありますよね…

    今回の1位も、まだ余力あると思うよ。
    本気出さないぐらいで丁度いい。

    レンポは誰に指示されたのかが興味あるw

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