2012年5月27日日曜日

キモカワ

コレワロタw

http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:OVIAWqcIEpUJ:blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/475/+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

のんびりゆったり 路線バスの旅


まんまです





雲ケ畑
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B2%E3%82%B1%E7%95%91

2012年5月24日木曜日

京都地検の



http://mainichi.jp/select/news/20120512k0000m040145000c.html


「長時間運転したことが逆に、技能が「未熟」とは言えないことを示すことや、無免許運転や居眠り運転自体は法的な要件に含まれないことが壁となったとみられる。」

 京都地検ひどいピポ。。。。


京都府亀岡市集団登校事故に新証言?
http://tokumei10.blogspot.jp/2012/05/blog-post_7875.html


ところで

京都地検の女 東映太秦 火災

関係あるんでしょかピポ?

2012年5月20日日曜日

ヘビの体験


平安神宮キタ


ヘビ原因 左京で580世帯停電
 2012年05月16日

          スイッチが破損

          電柱登り感電死
15日午前0時ごろ、平安神宮(左京区)周辺の住宅街で580世帯が停電した。最長で約1時間。原因は、電柱によじ登って感電死した小さなヘビだった。  関西電力や川端署によると、住人から「ボン、ボンと音がして停電した」と署に通報があった。関電社員や署員が駆けつけ、近くに立つ高さ約10メートルの電柱の最上部にヘビが垂れ下がっているのを見つけた。電気回路を開閉するスイッチに接触して感電したとみられ、その際にスイッチが破損して送電が止まったらしい。  京都市動物園(左京区)によると、変温動物のヘビは気温が暖かくなると動きが活発になる。飼育担当者は「ヘビは木に登るので、電柱に登っても不思議はないですね」と話している。



平安神宮の名をわざわざ出す必然性が「?」なのと、

このワケワカラン改行が不気味ス、、、




これとかんけいあるんでしょうか?


2012年5月17日木曜日

雑ネタ(カメラ)




ライカ試作機からBLネタ、

の知ってる人には超今さらな雑ネタ。趣味。


ライカ試作機の誕生経緯

<映画を撮影するカメラってどんなもの?>
 http://www.ne.jp/asahi/movie/rectangular/take4.html

で、

アリフレックス(アーノルド&リヒター)


アリフレックスBL(アキバレンジャー第6話)

→BL

なんのこっちゃ

ちなみに当方はUマチック世代w


2012年5月15日火曜日

メモ(高野槇チンコ)









式典後に開かれた記者会見では、根津社長が「実は666メートルという案もあった」と打ち明けた。同社は当初、ツリーの高さを610メートルにする予定だったが、中国・広州で同規模のテレビ塔が建設中だったため、「やるからには世界一を目指そう」と東京タワーの2倍にあたる666メートルを提案した。ところが、設計者から「もうちょっと低く」と難色を示され、浅草寺の創建年と同じ628メートルという案もあったが、最終的に語呂が「ムサシ」になる634メートルに決まったという。






メモ(大日本観音会)





















2012年5月13日日曜日

よい子は見ちゃダメ!(Act.2)











→ 『悪の落胤』・王仁三郎

なのですが、








http://riodebonodori.blogspot.jp/2012/05/blog-post_06.html


(→「『大本』は仮構デス。」)






(→「『仮構』の意図」)
































・・・ということで、実は

『悪の落胤』・王仁三郎

は終着駅ではなくて始発駅なのデス、、、、



勿論当方は王仁三郎マンセーではありませんw

(王仁三郎とは何者だったのかという謎、続く。)


2012年5月8日火曜日

よい子は見ちゃダメ!(Act.1)の続き


続きというか補足ですが


<日独伊三国同盟と日本における反米の原点>
http://tokumei10.blogspot.jp/2012/05/blog-post_6387.html 。



なんたって熾仁親王は明治天皇こと大室寅之祐から錦旗(偽)と節刀を授けられた東征大総督で、明治政府の初代総裁。



 で、
 以下、王仁三郎のポジションに関する当方の推測。


 (1)「伏見の船宿」の件:
尊攘派の拠点「伏見の船宿」での熾仁親王と上田ヨネの密会は落胤を作る目的で意図的にセッティングされたものでしょう。

 上田ヨネの母・宇能は国学者中村孝道の姪。中村孝道は周防生まれ。

 (2)「冠句の師匠八木清之助」の件:
若き日の王仁三郎の雑俳仲間で近所に住む筆の行商人・八木清之助は、禁門の変の際に桂小五郎(木戸孝允)が命を預けたほどの隠れ重要人物だった。
偶然ではありえない。

(3)長沢雄楯の使いが突然訪問の件:
侠客修行(明治30年)→祖母に落胤であることを知らされる(明治31年頃?)
 →本田親徳の弟子・長沢雄楯(稲荷講社・月見里神社)の使いがなぜか突然王仁三郎を訪問。 すぐに王仁三郎は稲荷講社の長沢雄楯を訪問(明治31年4月)。
→突然旅に出て福島ヒサと遭遇。福島ヒサの依頼により綾部の出口直を訪問(明治31年10月)。
この一連の流れはどう考えても偶然ではないでしょうw


その他、出雲大社の門外不出の神火を何故か下げ渡してもらえたりとか、
その出雲大社に行く途中の海岸で何故か伊東祐亨(海軍海軍大将)とばったり会ったりとか、


要するに、明らかに王仁三郎はコネクションの「玉」(隠し玉・スペア?)であり、
そのコネクションの引いた筋書きというかバックアップがあったからこそ世間的にも大きな存在になっていった、ことは間違いないと。



で、そのコネクションと、大本弾圧事件との関係。


 (全然寝てないので続く)