2012年5月8日火曜日

よい子は見ちゃダメ!(Act.1)の続き


続きというか補足ですが


<日独伊三国同盟と日本における反米の原点>
http://tokumei10.blogspot.jp/2012/05/blog-post_6387.html 。



なんたって熾仁親王は明治天皇こと大室寅之祐から錦旗(偽)と節刀を授けられた東征大総督で、明治政府の初代総裁。



 で、
 以下、王仁三郎のポジションに関する当方の推測。


 (1)「伏見の船宿」の件:
尊攘派の拠点「伏見の船宿」での熾仁親王と上田ヨネの密会は落胤を作る目的で意図的にセッティングされたものでしょう。

 上田ヨネの母・宇能は国学者中村孝道の姪。中村孝道は周防生まれ。

 (2)「冠句の師匠八木清之助」の件:
若き日の王仁三郎の雑俳仲間で近所に住む筆の行商人・八木清之助は、禁門の変の際に桂小五郎(木戸孝允)が命を預けたほどの隠れ重要人物だった。
偶然ではありえない。

(3)長沢雄楯の使いが突然訪問の件:
侠客修行(明治30年)→祖母に落胤であることを知らされる(明治31年頃?)
 →本田親徳の弟子・長沢雄楯(稲荷講社・月見里神社)の使いがなぜか突然王仁三郎を訪問。 すぐに王仁三郎は稲荷講社の長沢雄楯を訪問(明治31年4月)。
→突然旅に出て福島ヒサと遭遇。福島ヒサの依頼により綾部の出口直を訪問(明治31年10月)。
この一連の流れはどう考えても偶然ではないでしょうw


その他、出雲大社の門外不出の神火を何故か下げ渡してもらえたりとか、
その出雲大社に行く途中の海岸で何故か伊東祐亨(海軍海軍大将)とばったり会ったりとか、


要するに、明らかに王仁三郎はコネクションの「玉」(隠し玉・スペア?)であり、
そのコネクションの引いた筋書きというかバックアップがあったからこそ世間的にも大きな存在になっていった、ことは間違いないと。



で、そのコネクションと、大本弾圧事件との関係。


 (全然寝てないので続く)



2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

>筆
これもそうですか、、

悲しき秀才 さんのコメント...

話は飛ぶが

「セーフコミュニティ」
WHO、東京・豊島を「安全な街」に認証
日本初のセーフコミュニティ亀岡市

なんじゃこれ?